河鍋暁斎 美人達磨之図


河鍋暁斎作の美人と達磨図、肉筆・絹本です。名前が暁斎になっているので明治4年以降

の作品である事はまちがいありませんが、年代測定はできません。明治3年に上野の書画会

で新政府を揶揄し御咎めを受けて罰せられ、翌年に狂斎から暁斎に雅号を変えています。


聖人であるはずの達磨が美人に袖の綻びを繕ってもらい、でれでれとしています。同じパターンの作品は数多く書いているようで、かなりの枚数の肉筆画が現存してるようです。暁斎は時代の転換期に活躍して、器用貧乏が禍したのか一時忘れ去られていていました。関東ではまだしも有名ですが、なぜか関西ではあまり知られていない絵師でした。


暁斎は若い頃にかの有名な歌川国芳に7才で弟子入りしたものの、自由奔放な国芳一門を危惧されて脱退、10才の頃から狩野派を学びます。妖怪画や戯画、世相を茶化した今で言うところの一コマ漫画、春画や和本等ありとあらゆる絵画に手を染め、狩野派の技術と国芳一門の奇想天外なアイデアをあわせ持つ唯一無二の画家となります。私の若い頃は国芳も知られてなく、単体で展覧会が頻繁に開催されるようになったのはここ最近ですが、暁斎も研究が進みそのようになればいいと思っています。


達磨さんの顔に注目すると、被り物をかき上げてまで美人を凝視して、うれしそうでもあり好色そうな目で美人を見つめてるようでもあり、なんとも知的なユーモアあふれる作品です。聖人が卑しい人で卑しい人が聖人で・・・


世相を茶化した戯画や妖怪画から細密画まで、破天荒な作品は公表されているより、はるかに多くの肉筆画が個人所有で現存していると思われます。またヨーロッパには明治時代に流出した作品がたくさんあります。


この作品の入手経路はネットオークションで3万円まで入札すると競い負けしてあきらめました、どうしても欲しい場合は高値の入札でも競いますが、いざという時のためにがまんしました・・しかし最高入札の方がキャンセルし次点繰り上げで結局この作品を入手しました。

もしかしたら出品者が作為的に値段を吊り上げていて、誰もついて来なくなったのであきらめて安値で落札させたのかもしれません。





第四回秋田信託名書画展覧会?箱書きにありますが全く詳細不明です。合わせ箱なのか共箱なのかさっぱりわかりません。達磨さんの顔は写真で見る暁斎に似ているようでもあり、自画像かもしれません。大量の肉筆画の注文を抱えていた暁斎は人気のある同じ図案でこなしていたようです。同じパターンの絵を多く見かけます。女性の衣紋線は細くスーッと引かれていて、達磨さんの衣紋線は太くガタガタに書き、衣服の硬さや重さ、汚れ、だらしなさまでも表現しています。

大江戸浮世絵美術館

江戸後期・明治の私設美術館です、美術品は管理人の所有物です、画像をクリックすると詳細・関連作品が閲覧できます。    河鍋暁斎や歌川国芳が大好きで、蒐集・研究しています。あわせまして幕末タイムトラベル!というHPもやっています。 ご連絡・ご要望はコメント欄よりお願いします。

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