歌川国芳 十六利勘 迷者損者
迷者損者(まよいはそんじゃ)歌川国芳 妙でんす十六利勘 迷者損者
弘化2年 1845遠州屋又兵衛 名主印「村田」印
この作品もネットオークションですが1万円程で購入しました、国芳の哲学的な文章は相当なレベル
で、自分の心の迷いが鬼や仏を生むので、迷う事は損である。と訴えています。
現代文 岩切友里子訳
十六利勘の巻軸を迷者損者と申しまする。
この十六損者は詰まる所はおのれ、おのれが一心より出るなり。一心さへ正しければ何事もなし。何事も無ければ苦労もなし。苦労も無ければ案じることもなし。
迷えば悪女も美人と見え、ふんどしの干したのも幽霊と間違え、欲に迷えば迷子札も小判と見え、たくあんの香々を見ても小判を思い出し、蛇がいても腰帯かと思い、ひき蛙がいても財布かと思い、雪が降ればこれが米か塩ならよかろうなぞとつまらぬ事を思い、持参金がつけば累も小町と見え、軽石面も業平と見える。これが欲の迷いなり。
利欲色欲に迷えばその身を果たし、田舎道に迷えば狐に化かされ、子ゆえに迷えば夜の釣瓶寿司を買いたくなり、■からに迷えば目移りがしていけず、鏡に向かって笑えば笑い顔うつる。これおのれが心が映るなり。
心が迷えば目にみるものも迷って見え、迷うことなければ損をする気使いなし。
仏も鬼も我が心より生ずる。これゆえ傀儡師の人形を以て、この道理を悟るときは何事もめでたく、とかく迷うが損じゃ。と教え給う。
歌に「行く末が鏡にうつるものなら娘盛りも皺くちゃばばあ」なんとこの通り迷いっこなしだよ。
歌川国芳の門人が建立した国芳の顕彰碑、浅草に近い三囲神社にあります。
国芳がいかに門人たちに愛されていたかがわかります。浅草寺より江戸の名残は三囲神社の方が
感じられます。
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