浮世絵師の眠る街・暁斎と北斎

江戸時代から明治にかけての著名な画家はいまでも東京に眠っています。

お墓の写真はお寺の方に許可をもらっています。貴重な北斎に辞世の句も公開します。


河鍋暁斎の墓です、場所は下町観光で有名な谷中銀座の近くにあります。

谷中銀座ゆうやけだんだんから約10分くらいの距離に瑞輪寺にありますが、墓地が

広すぎてどこにあるかお寺の方に聞かないとわかりません。暁斎の墓には代名詞

である蛙の石像がのっかっています。河鍋家は健在ですので手入れも行き届いています。


蛙に見えるでしょうか?生前ユーモアたっぷりな蛙の風刺画も得意としていた暁斎が偲ばれます。この付近には狩野芳崖の墓も近くにありますので行ってきました。


狩野芳崖も明治維新後は狩野派の解体と共に苦労した一人ですが、狩野派を引き継ぎながらも新しい絵画を模索して名作を書いています。

管理人の顔出しです。谷中銀座周辺にはお寺も多く朝倉彫塑館もあり、また東京では数少ない江戸時代の建築物の根津神社もあります。また笠森お仙で有名な笠森稲荷も近くにあります。


鈴木春信の浮世絵で有名な笠森お仙。水茶屋で働く一般人が画像で記録されていて、現代でいえば東京ドームでビールの売り子をしていた一般人が美人で人気となり芸能人になるようなものでしょうか・・・このお仙はいつの間にか水茶屋から消え、いいとこへ寿退社したそうです。浅草近辺にも浮世絵師の歌川国芳の石碑と北斎の墓があります。



浅草寺の川向うにある三囲神社、明治4年に弟子達にたてられた石碑です。国芳の弟子達は

成功した者も多く、現在でも国芳ファミリーの浮世絵作品は大量に流通しています。


お墓は小平市にあり今回はそこまで行けませんでした。



浅草寺より西西南、上野方面に歩いて誓教寺に北斎の墓はあります。


画狂老人卍・・右側側面には辞世の句、人魂でいく気散じや夏の原と刻まれている。

正面には「画狂老人卍墓」と大書きしてあり下部の楚石には生家の川村氏が刻まれています。(写真では右下のお供え物で隠れています。)北斎さんは葛飾郡本所割下水で生まれ幼名は川村時太郎です。その後、 幕府御用達鏡磨師であった中島伊勢の養子となりそののち、実子に家督を譲り中島家を出ます。

このお墓ですが誰が建てたのかははっきりしていません。亡くなってすぐ建てられたのではなく当初は同寺の仏清墓に父と一緒に葬られていてその後に改葬されたそうです。

この墓を建立したと思われる人物は北斎次男で他家に養子に出した加瀬崎十郎、その娘の白井多知、またはひ孫(崎十郎の孫)の加瀬昶次郎、この墓はいずれにしても北斎さんを誇りに思う子孫が建立したのはまちがいありません。

右横の扉を開けてみた写真です、非常にわかりにくいのですが、辞世の句が書いてあります。ひと魂でゆくきさんじや夏の原、拓本がほしいくらいです。浅草聖天町の長屋で阿栄さんに看取られ亡くなった北斎さんの命日も近く、ここ誓教寺では4月18に北斎忌が開催されます。法要と誓教寺所蔵の北斎さんの作品が公開されます。

飯島虚心の北斎伝より葬送の様子

翁死に臨み、大息し「天我をして十年の命を長ふせしめば」と言い、暫くして更に「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」と言い終りて死す。

実に四月十八日なり。歳九十。浅草の誓教寺に葬る。翁の死するや、門人および旧友等、各出金して、葬式の礼を行いたり。棺槨などは粗製のものなりしが、見送りの人々の中には、鎗、挟箱など、もたせたる士もありて、凡百人程にて、誓教寺に赴きたり。古来裏店より鎗箱など持たせて、見送りし葬礼はかってこれなきこととて、近隣の者共、大いに羨みたり。また翁が死せし時、門人の他に、柳亭種員、四方梅彦など、最もよく後事を担当し、周旋いたらざるなし。

すみだ北斎美術館の北斎の関東大震災で焼失した須佐之男命厄神退治之図を復元した絵です。直筆ではないものの迫力は十分伝わってきます。常設展は撮影可です。


北斎の部屋を絵から立体へ再現したものです。最近注目されているお栄さん(葛飾応為)が

後ろにいます。部屋を掃除するのがいやで引っ越しを繰り返し、引っ越し先がきたないと思ったら、前に住んでいた家だったそうです。奥には桜餅をたくさん買ったら籠もくれるので

甘いものが好きな北斎の部屋には籠がたくさん散らかっています。


美術館の横の公園でやっていた北斎まつりの様子です。北斎辞世の句のパロディーです。

(撮影許可済です)


焼きそばは赤富士をモチーフにしているようです。


三つのスタンプを重ねて浮世絵を作るワークショップ、なんと無料でした。



蕨市にある河鍋暁斎記念美術館です、河鍋暁斎のひ孫の方が館長です。


記念館の中庭の蛙の像、暁斎の作ではないものの蛙が好きな暁斎を偲ばせます。

この日は主な展示物が大阪市立美術館に貸し出されていて、また後日大阪で見ることになりました。完成品は売るので残っているのが少ないのですが、制作過程がわかる下絵は大量に残っていて絵を描く人には貴重な資料となるでしょう、

管理人所蔵の羅漢図、暁斎の戯画の最高傑作で到達点とも言えます。

大江戸浮世絵美術館

江戸後期・明治の私設美術館です、美術品は管理人の所有物です、画像をクリックすると詳細・関連作品が閲覧できます。    河鍋暁斎や歌川国芳が大好きで、蒐集・研究しています。あわせまして幕末タイムトラベル!というHPもやっています。 ご連絡・ご要望はコメント欄よりお願いします。

0コメント

  • 1000 / 1000