狩野常信 猿猴図

狩野派の重鎮の一人狩野常信。木挽町狩野家2代目総帥1636-1713

猿猴図、実際に日本にいるサルではなくテナガザルらしい。墨の濃淡だけで見事に描いている。狩野常信は木挽町初代の狩野尚信を父に持ち、叔父には鍛冶橋狩野家の狩野探幽また、狩野本家の中橋狩野家の狩野安信がいる。69歳で法眼、そして最高位の訪印に昇りつめる

大きくは4段階の墨の濃淡で書いていて、輪郭線の無い没骨法(もっこつほう)で岩を見事に表現している。猿は水面の自分を見ているのか、はたまた月を見て取ろうとしているのかわからないが水辺の空気感や湿度まで感じられる。

狩野派は室町・桃山・江戸時代を通じ親族や高弟を中心に権力者に寄り添い渡り歩きました。初代の正信から400年という世界でも類を見ない最大にして最高、そして最長の絵師集団です。奥絵師、表絵師、町絵師以外にも各地の大名に使える多くの絵師が狩野派として活躍しました。

狩野派は権力者や大寺に書いた障壁画は大半は火事や戦で消失し、明治以降に注文主であった権力者もいなくなり、困窮して廃業していきました。また画一的と見られた画法は芸術的には価値が低く工芸品の類とみなされた事も残念な事です。

狩野派の絵は再評価されるべきで、美術の歴史の中で埋もれた天才達が数多くいます。

この絵はオークションにて1万円にて購入しました。本物かどうかは定かではありませんが、かなりの腕前の狩野派の絵師が書いていることはまちがいありません。

大江戸浮世絵美術館

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