東海道 高輪 牛ご屋
東海道牛ご屋 文久3年 惺々周麿(河鍋暁斎)出版者 大金
惺々周麿(せいせいちかまろ)1831-1889
1860年頃に惺々周麿の名前で錦絵を描いた、文久3年歌川派の御上洛東海道の制作に参加した。このシリーズは14代将軍家茂が上洛した様子を名所風景とともに描いている。報道性と観光案内を兼ね添えている画期的な作品です。
江戸時代は度々風紀取り締まりが行われ、徳川に関する事を素のままで報道される事はありませんでした。戦国時代の事を太平記になぞらえたりましてや江戸時代の速報的な報道記事は皆無で、平安時代、鎌倉時代、過去の出来事のダブルイメージで検閲を逃れていました。わかる人はわかるという高度なテクニックです。
憶測ですが幕末とは言えなぜこのような作品がゆるされたかと言うと三代家光公以来の御上洛を、開国・尊王攘夷でゆれる国内に公武合体で立ち向かう幕府の姿勢を天下に知らしめる為に、庶民に人気のある錦絵で報道しようと計画され、当時一番の派閥、歌川派に依頼したのではないかと思います。
家光公の時代に土木作業で重い荷物を大量に運ぶために京都から連れてこられた牛車と牛人足はそのまま高輪に居住しました。その子孫たちの町ですので徳川の行列には尊敬と恩顧の気持ちで接したに違いありません。暁斎は戯画も細密画も席画も得意でこの作品は風景画ですが戯画に仕立てられています。
戯画であるポイントは
誇らしげ歩く侍の行列にへりくだり町人が正装して土下座している。
将軍御上洛の行列はやるほうも見るほうも初めてなので妙に畏まっている。
鳥はどこ吹く風で行列を横切っている。
犬は異変を感じて家に入ろうとしている。
三人の兄弟らしき子供は行列を一目見ようと牛にのり騒いでいる。
いつものように道路に出ようとしている牛を若者が引き戻している。
戸口の前に土下座している牛小屋の主人の後ろで猫が行列を見物している。
徳川家茂の一大イベント御上洛の行列には全く関心を寄せず洗濯物をしている女性
牛は少々興奮ぎみになっている。ポイントはこれくらでしょうか・・・
沿道での見物の管理人の想い出
1964年のオリンピックを前に近くの車道で聖火ランナーが走ることになりました。当日はお母さんが私の手を引いて妹はおんぶされて沿道に並びました。東京でオリンピックがあるといっても当時、福岡の田舎では外国の行事のように感じられましたが、小さい子供でも歩いて行ける場所に聖火ランナーが来ると言ったら、町をあげての一大イベントです。
その頃お姉さんは幼稚園児で学校から先生に連れられて行儀よく並んでいました。前列には見物の大人がすでに並んでいて、沿道警備の方から子供が見えるように前列は座ってみるように促されていて、大人しく座って待機していました。
ところが聖火の煙が見えると大人たちはパニックになり我先に立って声援を送りました沿道警備の人達も制御できず、幼稚園児だったお姉さんは大人が前で立ったために聖火ランナーを見ることができず。泣いて帰ったそうです。65歳になるお姉さんはいまだにこの話をし大人は信用できない人生はきびしいと言い人間不信になりました。
ちなみに私は大人のスキマに割って入って走ってくるのを見た記憶があります。
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