河鍋暁斎 反骨の戯画
河鍋暁斎明治3年に新政府ににらまれ上野の書画会で逮捕される以前の狂斎作品
狂斎百図 善は急げ 長し短し
坂に車、船頭多くして山に登る・・長州と薩摩が指揮して大砲が坂を登っているようです。
手習い・・寺子屋のような場所で先生が子供に読み書きを教えているようですが、それ以外の子は
てんでバラバラにふざけています。
地蔵の顔を三度なずれば、腹がたつ・・何回もなでられたら温厚なお地蔵さんも怒ります。
おれはいわぬがわれ云な・・下はガマの油売りでしょうか。
河鍋暁斎は1831年生まれで7歳で歌川国芳門下に入門するも2年で脱退し、10歳で狩野派
に入門。浮世絵で世に出るが、明治3年に上野の書画会で捕縛され、明治4年に狂斎を暁斎に
改める。その為に時代がおおまかですがわかります。
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